カミングアウトすることにした。

そこそこいろんなことが起こった私の半世紀のハイライトを恥ずかしいから隠してたけど晒すことにした。

siawase

子供がいない同い年の知人に、こちらのfbの投稿の感想として「私もあの時決心していたらこのくらいの子がいるかと思うと後悔している」と言われ、そうか、そのような思いを感じる人もいるのだなと思いました。



子供を1人で育てることは正直しんどい、しんどすぎる。

誰が手伝ってくれるということもなく、忙しすぎて、「助けて、手伝って」というタイミングすらなく過ごしてきた。

6歳を過ぎた頃には助けを求めることは無責任なこととして誰にも助けを求めずすべてを金銭で解決してきた。その頃は置かれている状況すべてが自分の責任だから当たり前のことだと思った。

子供を持つということはお金がかかって当たり前。そんなことは生まれる前から分かっていることだから愚痴もこぼしてはいけないと思い知らされてやって来た。

子供を育てる能力がないのに子供を持った罰かと思っていた。

今年息子は15歳になった。今春から高校生だ。

別れた夫に似て長身の息子は私の身長をとっくに超えて上から低い声で体を折るようにして覗き込む。



目が合うと思わず笑顔になる。私の苦しみの根源でもあり、深く愛している。

重い十字架だ。

いつも仕事や家事に追われていてしてあげたいことの20%もできない。小さい頃から。

子供は私に求める。応えられない。それが最も大きなストレス。

私は息子がやりたい、ということをやらせてあげたい、進みたい道に進ませてやりたい、それが私の愛情表現。だから費用を出せるように身を粉にして働く。長時間働くから愛する時間がない。手が空いた時間には疲れ果てていて微笑むことも出来ない。



子供がいない知人は私を羨ましがっていた。

私からしたら店を持って静かに着実にクリエイティブな自分のやりたい仕事をやりたいようにやっている彼女が心の底から羨ましい。作品作りに深夜まで没頭し、朝お弁当を作って朝食を作りグズグズする子供を起こすのに大声を出したりキレそうになったりしない心穏やかな生活をしている、そういうことが心底羨ましいのだ。

私は自分の生き方を諦めてばかり。もはや仕事は効率よく生活費をを受け取る手段でしかない。



彼女はそんな私を羨ましいのだ。



きっと私は恵まれていて幸せなんだと思う。

少なくとも彼女が知らない幸福を知っている。

私は彼女の幸福は知っているし、昔やった憶えがある。

だから私はいつも寝不足で疲れていてイライラしていても、不眠でおかしくなって死ぬ思いで復活しても、仕事のキャリアを捨てて手っ取り早くやれる仕事を仕方なく選んでも、教育費や子供にまつわる費用に貯金の殆どを使ってしまって老後や病気の不安を抱えていても、生活に娯楽というものが全く欠落していてもきっと子供がいるだけで恵まれていて幸せなんだと思う。



幸せってそういうものなんだと思う。

お花が好き

女性なんて皆お花が好きだと思いますが、ご多分にもれず私もお花が大好きです。

 

特に最近ではちょっと咲きすぎでしょう?とばかりにみだらに咲ききり、花びらの先の方の水分が少し飛んじゃって紙みたいになっているくらいなのにたまらなくリスペクトしてしまいます。

折しも桜はもろもろと散り、自然界のものとは思えないようなツヤツヤしたプラスチック系みどり色の若葉の配分のほうが、薄ピンクより多くなってきていました。

ご存知の通り、満開のソメイヨシノはこの世のものとは思えないほど美しいので、このような葉桜の状態を見るのは生物としてだいぶがっかりするのですが、近年ではなぜかどのような生き物にも深く愛を感じてしまうので、きみどりの葉っぱの息吹に強烈に当てられてしまうのでした。

 

 おかげさまで息子は無事高校生になり今日はオリエンテーションという先生や新しいクラスメートと慣れるための行事で、伊豆の方の温泉に一泊して◯◯生(学校の名前が入ります)としての心構えを叩き込まれるそうです。

 

私の頃はそんなのなかったように思いますが、始業式の次の日から3日間行われ、まだなんとなくクラスメートともコミュニケーションが取れていないらしく、休み時間は全員机に伏しているそうです。ま、狙っていた学校が全部ダメで仕方なくここに、という子が多いクラスなので空気はかなりどよ~んとしているようなのも頷けます。

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うちの息子はなんていっても友達が大好きなので、今いる中でどのように自分を位置づけていこうかとの意気込みが近くにいると伝わってきます。既に「あいつと仲良くなりたいけど、席が遠いから話しかけられない」などと言っていました。

 

先日撮影に行った箱根の温泉宿に泊まりそこね、温泉いいよねーと思いつつ、このようなうららかな春に1人でやることといったら仕事くらいしかなく、これといって会える友人もなく今夜も過ごすのかあと思うと、少々こんな生活にも飽きてきたなと思います。

 

私はこの5年間、結構頑張ってきたのでそろそろ自分のために時間を使ってもいいのではないかと思います。

 

…というか、使わなくては自分が崖から落ちてもろもろと崩壊しそうです。

 

ただ、ハッキリ言って仕事はさっぱり、息子はMAXお金かかる時期。若いころに比べたら開き直っているし怖いものなしにはなりましたが、お金がなさすぎて大好きなお洒落もできないし、お茶を飲むなら肉買って息子に食べさせたいと切実に私の遺伝子が叫ぶ。

 

母親はある意味正気じゃないと思っています。動物だって子育て中は子供を守るためにピリピリしているでしょ?私もまだまだ正気に戻ってないないようです。

 

薄く透け透けになって、茶色く枯れて散って次の世代の種を育む。

水分が抜けて茎も繊維が筋ばって、本当にわたしみたい。

おばあさんってお花を育てるのが好きな人が多いけれど、そういう愛情が妙にわかるようになったこの頃です。

 

受験終了

おかげさまで

息子の受験が一段落しました。

 

4校受けた中、1校合格を頂いた併願校へ行く意志が固まったようです。

駄目だった3校は、息子にとって全部が第一志望と言える私立の上位3番手の学校だったし、どこも文武両道でバスケも強く、学校生活安泰なMARCHの付属校も選んでいたので落ちてしまってガッカリしました。

 

本人は進学塾ですっかり

「ヘンサチ教」に入信しちゃってたから、

第一志望校はじめ3校にフラレてしょげていた所、

 

W模試で偏差値が70近いと発表されている、気鋭の進学校の「スーパー特別進学コース」へ奨学金付きで君を待ってますよ~!との証書が送られてきてすっかりご満悦になり、表情に明るさを取り戻しました。(営業の参考にしたいアプローチです!)

 

大学は海外留学か、国公立〜難関私立大を目指すつもりらしい 

入学と同時に引き続き受験に向けて猛勉強が始まります。スゲ~(゚д゚)w

 

お友だちと一緒で、スーパー特進コースは1クラスだけなので、

1年間はクラスメート決定。一緒に切磋琢磨できるのも嬉しいようです。

バスケ部は一応あるにはあるので勉強の息抜きにやることになってしまいます。

ゴール下で何度も何度もシュートする息子の姿を見る機会が少なくなってしまうと思うと寂しいです…。

 

あと、一応都立高も出願しているのですが、受ける意志はどうやらなさそう。

中堅の英語教育の強化校ではあるものの、公立は公立ですから、お客さんに対するサービス精神なんてどうせカケラも期待できません。

 

聞くに、学校と同時に予備校通わせ、その上浪人のオマケまで付いて当たり前程度の指導力のくせに、先生様がまた見当違いの上から目線で君臨しているかと思うと、もう

ウ・ン・ザ・リ。

子供の方も、学校の勉強と予備校の勉強の2本立てではまた内申の評価が取りにくく、

中学校のように足を引っ張られることだけは避けたい。

 

それだったら自校の評判を上げるために、強力教師陣を揃え、

在学中にビシビシ本気で鍛えてくれる進学校のほうがお金も時間もお得と判断しました。

 

それに進学校への改革に燃える、あの学校の動向を目の当たりにすることは、私の事業でも大いに営業の参考になることと思います。

 

「 母子家庭だからとうぜん都立志望でしょう?」という方も多いのですが、

都立高は授業料がタダとか、いつ変わっちゃうかわからない目先のことに惑わされて、自由すぎて勉強もせず、

 

ちょっと可愛い素行の良くない女の子と間違いが起こったりしたら目も当てられない…。

ストイックに男子高で勉強して、大学や就職先のフィールドで出会った良いお嬢さんと結婚してくれたら、婿養子でも何でも私は安心してあの世に行けるというものです。

 

息子は別れたパパの遺伝子でルックスだけはそこそこなので、腹回りに贅肉がついたり、頭髪が少なくなる前の、若くて魅力的なうちにキメてもらわないと!

 

と、妄想全開になった所で…

都立を受けない、二次募集ももういいなら、高校受験は意外とあっけなく終了しました。

 

結局、いくら強く願っても受入れらるところでしか選ぶことは出来ないこともあるんだな、と久しぶりに現実を見ました。

それから、

人っていうのはああだこうだと理想を言ってても、選べない現実にはわりとすんなり順応するものだということも思い出しました。

 

夢を語る息子の話を聞いて、なんとも言えない平和な時間が久しぶりに我が家に戻ってきたのでありました。

 

お世話になった渋谷駅新南口近くにある有名進学塾の講師の先生方、スタッフの皆様には本当に心から御礼を申し上げたいです。

 

息子は小学校6年の時に、学級崩壊から何らかの影響で不登校に陥り、卒業式も出ていない経緯があったので、小6の学習はまるまる空白のところからスタートしました。

 

そこから偏差値69をかかげるレベルに到達できたのは、ひとえに中1中2当時東大院生で汚い我が家に通って下さった家庭教師の先生と、中2、中3とお世話になった塾のおかげです。私は生計を立てるために昼夜働かなければならず、息子の勉強を見てあげることは不可能なので、学校だけ行っていたら、落ちこぼれて取り戻せなくなっていたでしょう。

 

特に、塾の先生が毎晩深夜まで息子たちの兄となり、父となって親身に指導して下さったことには余りある感謝に言葉が見つかりません。学校の先生の嫌がらせを受けた時も心を寄せてくれました。いつも最新の情報を入手して、受験のセオリーを何から何まで細かに教えて下さり電話をすればいつでも礼儀正しく適切に対応してくれました。

 

たとえ実績のためだとしても、私たちにとっては調査書を盾に権威を振りかざすだけの学校の先生などよりはるかにプライオリティの高い指導者、相談相手であり尊敬できる教育者です。

 

公立の学校の先生は、1回でいいから時間を作って素直な気持ちで進学塾へ研修に行ってみるべきだと思いますね。そうすれば今より少しは尊敬もされるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

story.jp

リクルートの仕掛け人、山本大策さんがやっていた初期の頃のcoffeemeeting。当時はわたしも新しい事業の構築にやる気満々だった頃だったし、その頃のcoffeemeetingの参加者たちは結構面白い人達が多く、今みたいに保険屋さんとかネットワークビジネスの勧誘の人と変な出会い系と混同している人がまだ気がついていなかったので面白がって私も使っていました。

 

自然に知り合う人たちではもういい大人で出来上がっちゃってる人、もしくは家族に縛られていると思い込んで身動きがとれなくなっている人が多く、私の居場所ではなかなか面白そうな人は見つからないので、このミーティングは世の中の広さを感じさせ、驚くような発想で新しいことをやってみようとするアイデアと実践するエネルギーを持つという意味では、上には上の人がいるし、フィールドを海外に求めてまさに出かけて行こうとしている人などを直接知リ、その人の口からの言葉を聞くことが出来て、とても興味深かった。私と同じように中年にさしかかり、今まで築いたキャリアを一旦リセットして第二のキャリアをスタートしようとしている何人かの方に共感した。

 

story.jpという自叙伝を書く(という使い方が多いようだけどフリーで使えるカミングアウトメディア)サイトからMail。一体どこから?と思ったら、先日”ギャルが偏差値を40あげて慶応大に入った話”を読みたくて登録したからだろう。

そのサイトの体裁がとてもcoffeemeetingに似ている。和田さんという仕掛け人は山本さんか周辺の人達ではないかと思っている。

 

自分をようやく客観的に見られるようになって来たので薄々思うこと、私は自分の見た目での印象で受け取られるイメージと実際の自分とが違いがあるようで、敢えて話すこともないようなことではあるけれど、そろそろ私も自分の本当のところを知ってもらったり理解してもらったりしたいと思っています。思っているというよりは熱望、いや渇望しているのかもしれません。

 

ただ、本当のことだから仕方がないんだけど、多くのネガティブな要素で彩られた私の前半の人生は普通の人からみたら目を背けたくなるような、苦笑いで対応するしかないような内容であることは確かで…。

 

私はその時その時に自分の持てるカードを最良の活かし方で用いて進んできたと思うし、

私が他の人でもきっと同じようにするしかなかったんじゃないかと思います。

でも、私のような立場になったことがない人から見たら「バカだなぁ」「努力不足」「視野が狭いんじゃない?」「イタイよ」と思われてしまうような内容とも言える。

 

だからなるべく自分の過去を人に話さないように、さとられないようにしてきた。

軽蔑されて自分たちとは別物として扱われ、プラスになることはひとつもなかったから。

同類と思って近寄ってくる人たちには正直違和感があって、寂しさとか辛さは同感するけれど「その表現方法どうにかしようよ。もうちょっとプライド持とうよ。」っていう感じの人が殆どだった。

 

ただ、もう母が一生を終えた年令になった今となっては吹っ切れたというか、そんなことはどうだって良くて

私はこれ以上でも、これ以下でもない

そう思うと逆に隠すこともないと思える。開き直りと言えばまさにそうだ。

ただ、受け取る側によっては私のような者を全く共感できないと感じ、もしくは毛嫌いする人種も多く、私のことをろくに知りもしないくせに異常な敏感さで過剰に反応することがある。

 

自分に跳ね返ってくるだけなら受け止めるが、息子の担任のようにこれからの未来ある息子に対して嫌がらせを仕掛けてくるような事が起こるのは不合理だ。

 

だからfbのアカウントを使って実名で投稿するstorys.jpではありのままを書くことが出来ない。

あれは世の中に飛び出すための注目集め、今となっては記念以外のどういう意味があるのかよくわからない自費出版のための場であって、私のような人に誤解されやすい経験が多い者にとってはほんとうの意味のカミングアウトをしてはいけない場所で半分はファンタジーにしておかなくちゃいけないんだと思う。

 

世の中は広い、どんな考え方の人がいるのかわからない。だから無防備でいては危険なのだ。storys.jpでカミングアウトしようかと迷ったがこうやって書きながら整理できた。

本当のことが書きたいから匿名で行こう。そう思うに至った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寝よう寝よう。

なんだろな~この憂鬱な感じ。

去年の11月から、ずっと不調。

 

世の中の誰もが私を拒絶しているかのよう。

接客業でもあるし、私は営業職だし代表だから

絶対に対面している人には見せない癖が刷り込まれている。

だから接している人にはほとんど気づかれることはないと思うけど

躁鬱っていう状態だ。お客さんやスタッフの前では元気で、

誰も居ないと動けない。眠い、疲れている、何をやっても進まない。

記憶が無い。(年のせいか?)

 

大きな顧客が離れてしまったことも

息子の進学で受けた妨害も

着たい服がないこと

進学でかかる多額なお金、上がる見込みのない収入。

 

今までろくに興味も持たず、ぼんやりしていたくせに

土壇場でハリキリだし、せっかく決めて、もう受験料も払ってスケジュールも組んで願書も出したのに

受験校をひっくり返そうとする息子。

 

以前のようにやりこなすガッツがない。

丈夫なくせに、病気したり身体が壊れてしまうような気がする。

 

更年期障害かなぁ。

散歩でもして来ようかな。

寒いよなー

風邪をうちに持ち込むわけにも行かないし

 

こういう時に限ってpcがトラブルわけよ〜。

指示通りにやっても堂々巡り。直らないし。

サポートがやっていない時間にしかこんなことやれないし。

トラブルが起こる時って、すんごい高確率でサポートがやっていない。

単語がわからなすぎて説明読んでも理解できない…。

文字が頭にはいらない。目が見えなーい。

 

受験が終わればすこしは元気が出るかな

入学までに100万以上はかかるな。不安だな

卒業するまでに300万は最低でも必要。

 

スポーツやったらもっとかかるもんね。

お弁当でしょ、交通費でしょ、メシも人の3倍程度は食うでしょうし

全部が私の肩にかかってるんだな

落ち込んでる時間なんかないよ。

 

何年も前から受験させるために塾に行かせてたしね。今さら都立行ってくれって言ったって方向転換できないよね。内申と3科の偏差値のギャップがありすぎる。

兄弟いたら無理だけど、一人っ子だからどうにかなるでしょ。

少子化にもなるわけだ。かわいくて、重い十字架だよ。

 

すぐ流されるんだよな。そもそも今(さら)猛勉強してるのも友達が本気になってるって気がついたからでしょうしね。

公立底辺校と言われるようなところに入って自分を貫けるようなタイプじゃないし。

わたしももう公務員の教師は懲り懲り。消去法で私立。できるだけ付属高。受験はエサにされるから。ハイエナが寄ってくる。無理だったら予備校機能の進学校。都立で予備校通って浪人とかかえって教育費ムダだから。ホント懲り懲り!

 

男の子ってアホだホント。今頃ライバル意識燃やしても遅いんだよ。

もっと早く始めろぉ。せめてあと1ヶ月前に…!

 

とにかく息子に気を使わせないようにしなくちゃ。

せっかく頑張るようになったんだから。

 

どうせまた遅いし、朝起こさなきゃならないから先に寝よ。

明日は朝から気が進まない打ち合わせ。パリっとお化粧していくわ。

 はぁ〜( >д<)、;'.・ ィクシッ。

 

 

 

 

 

バッシングは確かにあるんだ

母子家庭だからといってバッシングされたとしても、だいたいそういうことを仕掛けてくるのは私にとって重要と思えない人物であることが多いので私自身はそんなものは「屁」でもない

 

今回それが中学の教師だというのがちょっと困りもの。

標的は私ではなく、息子と私だから。

 

願書を出すにあたり、調査書を息子に不利益な言葉を使って改ざんされていた。

ギリギリまでこちらに渡さず、土曜にわざわざ登校させて学校で調査書を渡し、出願に学校から直行させる、というやり方。

持ち帰らせると親が内容を気にしてうるさいからだと思う。

 

たまたま一校が郵送で、早めにうちに持ち帰ってきたので

今までの経緯からもちろん信用していないので電球に透かして封筒越しにみたら、何度確認しても「バスケットボール部(2年時)部長」と書いてある。

 

ん?なに?(2年時)って。

 

この文面で受け取った方は「なんで3年で部長やめたの?」って思うでしょ、普通。

やめた理由は何でしたか?監督の暴力で登校できなくなったんですが??

こちらは、それを受験時に言い訳する機会がないまま合否をジャッジされるわけで、

ということは、他の学校宛の調査書も一体どんな風に書かれているのか…。

全く油断も隙もない。

 

厳封のまま在学校から受験校に渡さなくてはならないルール。

このようなことが起こるということは、ルールを変えていかなくてはならないんじゃいかと思います。

調査書を餌に子供を脅す教員。子供たちは教師の評価を気にしてビクビクして受験まで過ごす。

狙いは?上の者の言うことを黙って聞け、世の中とはそういうものだということを

子供に教えたいということですか?

 

「彼の家は母子家庭だから」とスポーツ推薦の入試相談にわざわざ訪ねてきてくれた高校の先生を別室に呼んで話したそう。あのお母さんなら協力してくれるでしょう、という気持ちからだったとか???この高度な(笑)表現をどう好意的に捉えたらいいのか私にはわからない。

 

私立高の強豪校の顧問にそれを言うことが、息子にとって有利になるとでも思ったんでしょうか?

そもそも個人情報であり、プライバシーの侵害であり、そのタイミングで相手に開示されることは息子の志望にとって不利益にしかなりませんけどね?

 

少なくとも女性の担任教師が最初から好意的で無いことは確かで、それは単純に母子家庭「なのに」やりたいことを自由にしていることが彼女から見て個人的に不愉快なんだと思う。

 

私は、離婚したことで教育方針や自分の生き方を夫に相談することなく、ある意味自分の考え1つで選択できるのだ。しかし、その代わりに経済的なことや子供に対する責任などを1人で引き受けている。

 

私の結婚は、私が我慢することだけで継続できた婚姻関係ではなく、それを続けることでますます全員が破綻に向かっていくような関係だったのだから、それなりの覚悟を持たないままで母子家庭をスタートして今に至っている。私に言わせれば続けざるを得ないのは皆が自分の境遇に不満に思い、夫や姑に不満を持ちながら続けていることと同じだ。

 

そのような代償を伴う自由が気に入らないというなら、それは生き方の選択の問題であって彼女の嫉妬であり、自身の心の問題であって、私と息子にはなんら責任はない。

 

足の指で数えろって。

自分の子供時代を振り返ってみても、公立の小中学校へ行っていたことが

育ちの良い母から受け継いだ伸びやかな感性に、触ると棘が刺さるような

ガサガサとした枝で出来た心の垣根を作ったのはまさに大衆文化そのものである公立学校の環境だった。

 

言葉遣い、服装、髪型、持ち物、ふるまい方をすべて周りの子にあわせて

テレビで見るようなルックスを真似、わざと崩した言葉で話し、グループに入ってターゲットにされた子の悪口を言ったりと適応するのに色々と学んだ。

母の趣味でしかなかったのだけど、お嬢様然とした服装や髪型、使っている香りの良いシャンプーが小学校3年生の時の当時60代だったであろう女性教師に目をつけられ、その教師から毎日臭い臭いとか、母の手作りの服をけなされたり何かと虐められた。

算数で指された問題が出来ず、上履きと靴下を脱がされ、手の指が足りなかったら足の指で数えろ!とか。足が見えないから机の上に上がれとか(笑)。

 

その先生の家が火事で全焼して焼け出されたって聞いた時は、お気の毒って思うより先に

バチって本当に当たるんだな、

と怖くなりました。子供心に。

 

どこか醒めた目で学校の友達を見て真似ていたのだけど、「ふり」が上手だったようで友達に困ったり仲間はずれにされた記憶はない。どっちかというといつも周りに友人がいて人気者の方だったと思う。

 

いつも自分の嗜好が他の子と違うこと、それをみんなだったらどれを選ぶかを頭で考えて選ぶようにしていたこと、みんながどういうことを好ましく思うか、そういうことが器用に想像出来ていたのだろう。(その想像力はCMや雑誌の仕事で活かせたと思うけど)

 

大人になって色々体験して、選べる範囲で自分にあった環境を選んでいって振り返ると、自分の周りにぐるりと作った心の垣根を、半グレになったり、家出したりして怪我を繰り返しながら素手で壊して壊して、視界を広げてきたように思える。

 

ただ、今思うとそんなことがなんとも無駄な労力に思えて時間が勿体ないなぁと思う。

 

自分の行きたい方向に、必要ない我慢とか基礎とか、運動センスのない子に二重跳び100回とか、少食の子に給食を全部残さず食べさせるとかは、やっぱり意味がないのだ。

その時間や労力をもっと自分の志望する得意な方向にかけたほうがいいのにと思う。

 

そういうことがそれほど重要でない環境で育つことができたら、もっと特徴を持ったスペシャリストになれただろうに。

 

そう思うと、受験に差し掛かっている息子の進学する高校がどこになるのかは重要。

特に異物を排除するような考え方に凝り固まるようなところは良くない。

排他的な校風の超有名校など一部を除いては、ある程度の学力以上の学校の方が

「他者は自分と違うものでそれはアタリマエのこと」といった教育がされている子が多いと願う。

 

頑張っている息子にとって高校進学がいい選択であることを祈るように思います。

 結果は通ってみなければわからないけれど、少しでも彼に合う環境が選べていたらいいと思う。

ほっと一息。(油断禁物)

息子の偏差値が上がった。上がってた。

この調子で行けば、第一志望校に入れるかも知れない。

併願校も特待枠の基準が取れた。よっしゃー!

 

スポーツ推薦がダメになってしまって、

「もう、オレ、バスケやらなくていいよ」

3度のメシよりバスケが大好きな息子がそう呟いたことが

どんなに悲しかったか。

 

部活では一度都大会に出たくらいで特に目立った戦績がなく、推薦が受けられないので、上手い子と交流してクラブチームの試合に出させてもらったり、親が遅くまで仕事しているので送り迎えができないって言ったのに、往復で3~4時間もかかる遠くの練習会に自分から通って、中学生なのにほぼ終電で帰ってきたり、それでもバスケが上手くなりたくて頑張って都選抜レベルの上手な仲間になんとかついていって、自分から行きたい高校の練習に参加してセレクションを受け、強豪校への推薦のチャンスを手に入れたのは我が子ながら立派だったと思う。

 

推薦がダメになったことを知らせる電話を高校の顧問の先生からもらった後、不覚にも泣いてるところを息子に見られてしまい、いざ、というとこでメンタル弱い私はさらに心労で1週間も寝込んでしまった。あいつは推薦基準まで内申を上げようと希望に燃えてせっかくテスト勉強を頑張っていたのに(トホ)。

 ダメだった学校は合格目安の偏差値が70近いのでがんばっても入れる見込みが少ないので、

都外も調べてバスケで少なくとも関東大会に出られる可能性が高く、息子の成績に見合ったところを見つけて目指すことにした。推薦がダメだった学校のことしか考えていなかったため、最初は嫌がっていたが、息子自身で情報を調べてみたら気に入ったよう。ここだったら校風も息子に合っているし可能性がある。

第一志望校が決まるまで長い道のりだった…。

行きたい学校で大好きなバスケットボールを思いっきり頑張れるといいね。