カミングアウトすることにした。

そこそこいろんなことが起こった私の半世紀のハイライトを恥ずかしいから隠してたけど晒すことにした。

クリスマスだった

なんでまたカミングアウトなのかというと、

もう、人のことを羨ましがるのは懲り懲りだから。

 

いい加減ここらへんで自分の駄目なとこを諦めて認めようと思うからで、別の言い方をすればそこんとこを人にあーだこーだ言われても、ある程度ヘッチャラだと感じたから。

 

私のやっていることなんて世間一般からみたら、低学歴のそれであってただの無鉄砲なバカだろうし、落ちぶれちゃってちょっとかわいそうで気の毒な立ち位置だと思われている(ほぼ確定で)。

 

自分からいっこ下へステップダウン?したけれど、

それは世間でそう言われるだけで、以前の職業と私にとっては別に超同列。


何をやっていても私はわたし。これ以上でもこれ以下でもない。

 

ただ私は自分が生きてる実感がほしいし、旅をしてもっといろんな人に会いたい、話を聞きたい。2009年に知り合った尊敬する90歳のおばあさんみたいに何歳になっても成長したい。

 

 相当目を凝らして毎日沢山の人に会っても、もう一回結婚しようとか思えるような相手が見つかる可能性は期待できないし、いろんな人が混ざった集団のどこかの会社に就職できることもおそらくないだろう。

 

外車に乗って、お洒落な仕事していたママのほうが思春期の息子にとっては自慢できるかもしれないけれど、それ以外にとくに迷惑をかける人も居ないし。私の価値が下がるわけでも何でもないと思う。

 

 ここの所、実は塞いでたけど、きょうは偶然に私の大好きな人たちに会えたし、他愛のない話をしてそれぞれの方から小さなプレゼントを頂き(お客様からチョコレートラスクだったり、スタッフさんがお歳暮とか保険屋さんからもらったとのおせんべいやらマドレーヌなんかのお菓子をビニール袋に入れて分けてくれたもの、年末のご挨拶に寄ったお爺ちゃんの一日分の野菜、という名前の小さい野菜ジュース、とか優しい共感)みなさんいいからお上がりなさい、という感じで招き入れてくれ、受け入れてくれるのが何より嬉しくめっちゃ癒やされた。

 

塾からやっと帰ってきた最愛の息子と、シナモン入りの甘いホットミルクみたいな懐かしい、ビング・クロスビーフランク・シナトラのクリスマスソングを聞いてトップスのミニチョコレートケーキに赤と緑のキャンドルを灯して、一本ずつ吹き消してなんだか幸せな気分になって眠れそうな気がする。

 

そう考えると今年はとてもいいクリスマスだった。

 私がずっと欲しかった幸せってこんなことなのかもしれないな。

 

ブラック

ibookで無料だったので「ブラックジャックによろしく」1-5を読む。

私もある意味ブラック企業とか呼ばれてもおかしくないとこで働いてきたけど、
もしこれが事実に近いなら、研修医ほどじゃなかったな。
一般企業に比べて自殺者が少ないのは頑張った後の希望があるから?
それとも自分で体の調子を整える術を知っているから?

ちょっと普通とちがう人が多いのも頷ける。やっぱり医師になるって並大抵の神経じゃできないと思う。彼らに比べたら、私がやってきたことなんか生ヌルいもんだ。

作者がこの作品を無料で公開することは医療現場の実態を世の中に提議したかったからなんだろうか。


死んだ魚を生き返らせるには

この変な先生素晴らしい!

 

スティーブン・リッツ:サウス・ブロンクスで野菜を育てる教師 | Video on TED.com
www.ted.com
↓ここに出てくる自信に満ちた子供たちの表情



子供を行かせてみて、日本の多くの公立小中学校(息子が中学生なので高校は知らないです)は学ぶ機能がもうだいぶ衰えているように私は思う。事務仕事に忙しすぎるのか教えることに熱意を失ってしまった教員(殆どの人が目が死んだ魚で普通の話が通じない)、反発しながら評価のためにしかたなく通う子供たち(こちらも自由時間以外は死んだ魚)。

それをカバーするために教育熱心な親は他の教育を買い与えている。
こちらの指導者たちは熱意に満ちていて、活力があり、ちゃんと話も通じる。
以前は学校での学習にプラスするオプションだった課外活動は、今や質が向上して学校以上の成果を出すようになった。

朝早くから学校へ行き→放課後に部活→夜遅くまで勉強して眠いのを叩き起こされて通学→退屈な授業。出口のない毎日。
私が子供だったら死にたくなる。いじめになんか合ったら即、登校拒否だ。

リッツ先生のサウス・ブロンクスとは事情は全く違うけれど、子供たちの優秀さを引き出すには子供の目を輝かせるようなやり方が必要ということは共通だと思う。せっかく昼間の最もいい時間に色んな子が混ざった集団で行える学校での教育は、こういう面白くて人生の役に立つことに活かすといいと思う。 

学習についてはもっとプロ意識の高い人がたくさんいるわけだから、
そういう人たちに対して大切な公金を使うべき。(それで部活顧問はボランティア同然だから責任取れません、って一体何?)
子供は管理されるんじゃなくて一緒に楽しみ、成長する大人から刺激を受けられたらいい。

現状都内の学校はヘタしたらまるまる一棟使っていないくらいの空き教室がどこの学校にもある。
息子の学校は担任は、教科数に対してクラスが少ないため余っちゃってるのか2人ずつ(1クラスあたりの子供の人数は昭和50年頃は50人だったのが今はだいたい35人前後)。
もう10年も前からなぜ整理統合しないのか個人的には疑問なんだけれど、そういう無駄な経費を削減して
教育の質を上げることを考えてほしい。

ULD¥7,990-

今週のお題「2013年に買って良かったもの」

ユニクロのウルトラライトダウンは買ってよかったかな。軽くて楽、気を使わない、見た目もそんなに悪くない。向こうから若くて素敵な女性が歩いてくると、着ている自分をほんのちょっと残念に思うかな。

 

 

 

 

<部品>も必要なんだろうけれど

1日の終りに見たTEDのスピーチ↓をみて腹底で感じて思いついた突飛なことをつらつら書きます。(先生様たち、怒らないでね)

http://www.ted.com/talks/sugata_mitra_build_a_school_in_the_cloud.html

 

息子を通わせていて心底感じるんだけど、日本の公立学校でもMitraさんの言うところの<部品>づくりがなされていて、傑出する子供の才能は潰されている。

そのために、ある一定以上の教育への感心と経済力のある親は放課後の学習機会を自分の子供に買い与えることに余念がない。

 

よって子供たちは学校外で心を休めたり、感性や教養を育む時間を潰して勉強し、学校外でプロフェッショナルな講師の刺激的な授業に慣れた神経で、まだ眠いのにたたき起こされ、朝から学校へ通学して(場合によっては)眠くて退屈な授業に耐え、受験のために出席と内申を確保しなければならない。

 

そのため自由な課外活動は制限され情緒的に成長するチャンスを失っている。

 

テクノロジーが充分に発展し、一般家庭にもインターネットが普及して小さな頃からゲーム機で遊び、スマートフォンやPCに慣れた子供たちが多くを占める中、公立学校では、ほとんど妄想の中にしかない一部の貧困家庭に合わせた20年以上前の昭和の時代から変わらない紙による情報伝達がおもな手段で、共働きの仕事や放課後教育のために家庭で顔を合わせる時間が少ない家族には、情報が伝わるまでのタイムラグなどの無駄が生じる。

 

 従順な性格もしくはそういった学校の、はるかに時代遅れなやり方に付き合うことが自分にとって得だと気づいている小賢しい子でない限り、学校のやり方は喜んで受け入れられることはない。つまり子供から馬鹿にされている。

 

心のなかで馬鹿にしていて素直に受け入れられない学校の指導に付き合うこと、それは子ども一人ひとりにとって大きな時間の損失であると同時に全体のレベルを落とすものであり、

平等に教育の機会を与えたいのであれば中程度の子を一番低いところに合わせるより、一番低い一部の子にテクノロジーを与えるなどして救済し、中程度に合わせたほうが国全体の未来のために良いはずだと思う。

 

公務教員の教育技術が高くないものならば、学習についてはプロ意識の高い講師やMitra氏の提言するsoleやカーン・アカデミーのようなインターネット上の学習方法に能力別に預け、

学校では子供を自主的な学習に向かわせるために、生活するための知恵や知識、家庭を運営し次の世代を育てるためのノウハウ、読書や教養、ひいては集団の中での優しさや思いやりなど学校でないと出来ない部分を養う担うべきではないかと思う。謂わばMitra氏の言う、おばあちゃんの役割に近いものであったほうがいいと思う。

 

受験で必要な内申点のために学校に付き合わなくてはならないため眠る時間を削り、学校外で深夜まで過酷な学習をしなければ一定レベル以上の教育を受けられない現状を、

プライドの高い教員たちは認め改善しようとしないばかりか、管理能力の足りない悪質な教師たちからはしばしば内申点を脅しの材料として管理される。

そのために子供たちは窮屈な生活を強いられて、情緒的な成長や教養を育む機会を失っている。そして学校では25年以上前の昭和の時代とさして変わらない内容の学習を教えている。事務仕事に忙しすぎる教師たちも、生徒たちの興味を引きつける授業を展開する準備の時間も心の余裕もなく、惰性で教えている。だから退屈で眠い。

 

子供と教師の見ている方向が違うから同じ箱に入れられても足並みは揃わない。先生の言葉は子供の心に届かない。

 

情緒面での成長をカバーするのは本来家庭の役割だったのに、公的学校教育が社会のレベルに見合っていないため、校外教育費が生活を圧迫し、核家族となり夫婦共働きが当たり前になり、子供たちの居場所もなく、彼らを励まし応援をして支える余裕が家庭にはなくなってしまった。

 

今あるカードをシャッフルして合理的に使うならば、例えば一般家庭に入り込んでいる程度のテクノロジーも学校教育に日常的に取り入れ、学習についてはプロ意識の高い一流の講師の学習指導力に対して公金を使い、

公務教員の役割は、子供を応援し、温かい人間性を育てる専門職として再構築し、

それぞれを子供の成長のために有効利用して子供たちの学習効率を上げるだけで、子どもならではの感受性の強い年令に相応しい自由を確保し、社会で中心となって働き続けることを期待されている親世代にも余裕が生まれて、子供たちが悪質ないじめや凶悪な犯罪などに走らずに自分の心と能力を育てるための時間を取り戻すことができるのではないかと私は思えてならないのであった。

 

 

メンヘラ?っていうの?

夫の残した借金をクリアにし、息子とのこれからの生活の基盤を作り、息子を自立したいい男に育てたい、というのが当時の私の目標だった。

 

生活の全てを合理化し、なるべく無駄なくスムーズに毎日を営めるよう整えた。要らなくなったものはさっさと処分して、お片付けの本を読まなくても断舎利していた。そもそも住む場所が狭いから要らないものなんか置いておく場所がない。

実家を追い出された時に、家財道具や思い出の品、家一式を手放したので物なんかない方が自由に暮らせることは身に染みて知っていた。

 

クリエイターの端くれだったので

仕事では私の領域の役割としての全責任は私にあり、私がコケるとその関係者が全力でその日に向かっている撮影の全てがコケる事になるので、たとえ高熱が出てもそれは自己責任で、一般の会社員のように休むことも、病院に寄って遅れることもあり得ないことで、その日の仕事が完全に終了するまで早く帰ることも出来なかった。

 

息子はいっときでも一人にさせるわけにはいかない年齢だったので、こちらも売れっ子タレントのマネージャーのように移動手段までびっちりスケジュールを組み立てて段取りを考え、アテンドをブッキングしなくてはならない。

 

朝から夜10時頃まで集中して仕事の上に、帰ってからの家事をこなし、次の朝までに資料を作ったり、撮影の準備をしたり、はたまた保育園や学校行事用の何かを作ったり、伝えておくべきことの準備もしなくてはならなかったりと、やらなくてはならないことが毎日あったので、一旦息子に絵本を読み聞かせながら眠って、深夜2−3時に起きだして、日が昇る頃にもう一度仮眠、と言ったサイクル。日中は車も運転するし、眠くてぼんやりでは仕事も捗らないので、最初はカフェインに頼っていたが、とても神経が立ってしまい息子に暴言や時には手を上げてしまったりすることもあり、悩んだ挙句心療内科へ。

 

眠らなきゃ、という時間に眠れない日々が続き疲弊しきっていたので医師が処方した睡眠導入剤と昼間に意識がはっきりするための薬の2種類でコントロールするしかなかった。

 

息子は小学生になり、私はそんなコントロールを続けてしばらくすると、なんだか記憶が飛ぶようになり、なんでもない時にちょっとした事で泣き出したり、ヒステリックになったかと思うと横になって動けなくなったりで、息子を学校へ迎えに行かなくてはならない時も寝椅子に寄りかかって過ぎていく時計を暗くなっていく部屋でどうしようと焦りながらも動けずに見つめる日が続いた。

 

その頃のことは殆ど詳しく覚えていない。けれど息子に食事を作ってあげることが出来なくて、パンか何かを食べるように言って、横たわる私のそばでおもちゃで寂しそうに遊んでいる息子の後ろ姿を何となく想い出す。息子に優しく接してあげたくて医師を信頼して薬を使ってみたのにどうゆうこっちゃ?と怒りを覚えました。

 

学校がお休みの日は車に着替えや食べ物をボンボン放り込んで、息子を乗せて逃げるように何処かへドライブへ行く。家になんていられなかった。どこか遠くへ行って息子に楽しいことをさせてあげたかった。デジカメで撮った画像で「これは一体どこへ行ったんだろう?」という旅行の写真がいくつかある。でもどこへ行ったのかどうしても思い出せない。

 

出かけたはいいけれど、お財布を持っていなくて次のインターで高速道路を降り、知らない田舎の、何でもない誰かの土地の草の上で昼寝したこともあった。そのくらい滅茶苦茶だった。でも何かを息子と共有して一緒に楽しみたかった。

 

客観的に見ると私は動ける時は(安定剤が効いていて)活発だし明るく振舞っていたので、あのお母さんは学童保育に迎えにも来ないし、子供は遅刻や欠席、忘れ物が多いし一体どうなのよ、って思われていただろうと思う。

 

私ほど手助けがない子育てをしている人はそうそういないので理解してもらおうと努力することが無駄ということは保育園時代に学習済みだった。「助けて下さい」と言っても、私の努力や辛抱が足りないからだ、どこでも親が責任をもって育てているものだ、甘えるなと言われるだけ。みんなはちょっと子供から目を離す時に、夫や祖父祖母に「見ていて」と頼んだりできるから、いっときも気を抜けない私の現実がどんなものか理解できないだろうし、それなりに親というものは大変なので他人のことをじっくり想像する余裕などないものなんだろう。

 

ずっとレギュラーで続けていた大きな仕事も断り、もう担当医の言うことは信用できなくなっていたので処方されていた睡眠薬や安定剤を自分でインターネットで情報を集めながら自己流で徐々に減らして、ヨガを習ったり、ジョギングを始めたりして健康な精神に戻れるように自分を変えていった。

 

その頃の写真を見ると、ディズニーランドに行っても、自然の中に行っても、ハワイに連れて行っても息子には笑顔がなかった。最近になって、そのことに気がついた。