siawase
子供がいない同い年の知人に、こちらのfbの投稿の感想として「私もあの時決心していたらこのくらいの子がいるかと思うと後悔している」と言われ、そうか、そのような思いを感じる人もいるのだなと思いました。
子供を1人で育てることは正直しんどい、しんどすぎる。
誰が手伝ってくれるということもなく、忙しすぎて、「助けて、手伝って」というタイミングすらなく過ごしてきた。
6歳を過ぎた頃には助けを求めることは無責任なこととして誰にも助けを求めずすべてを金銭で解決してきた。その頃は置かれている状況すべてが自分の責任だから当たり前のことだと思った。
子供を持つということはお金がかかって当たり前。そんなことは生まれる前から分かっていることだから愚痴もこぼしてはいけないと思い知らされてやって来た。
子供を育てる能力がないのに子供を持った罰かと思っていた。
今年息子は15歳になった。今春から高校生だ。
別れた夫に似て長身の息子は私の身長をとっくに超えて上から低い声で体を折るようにして覗き込む。
目が合うと思わず笑顔になる。私の苦しみの根源でもあり、深く愛している。
重い十字架だ。
いつも仕事や家事に追われていてしてあげたいことの20%もできない。小さい頃から。
子供は私に求める。応えられない。それが最も大きなストレス。
私は息子がやりたい、ということをやらせてあげたい、進みたい道に進ませてやりたい、それが私の愛情表現。だから費用を出せるように身を粉にして働く。長時間働くから愛する時間がない。手が空いた時間には疲れ果てていて微笑むことも出来ない。
子供がいない知人は私を羨ましがっていた。
私からしたら店を持って静かに着実にクリエイティブな自分のやりたい仕事をやりたいようにやっている彼女が心の底から羨ましい。作品作りに深夜まで没頭し、朝お弁当を作って朝食を作りグズグズする子供を起こすのに大声を出したりキレそうになったりしない心穏やかな生活をしている、そういうことが心底羨ましいのだ。
私は自分の生き方を諦めてばかり。もはや仕事は効率よく生活費をを受け取る手段でしかない。
彼女はそんな私を羨ましいのだ。
きっと私は恵まれていて幸せなんだと思う。
少なくとも彼女が知らない幸福を知っている。
私は彼女の幸福は知っているし、昔やった憶えがある。
だから私はいつも寝不足で疲れていてイライラしていても、不眠でおかしくなって死ぬ思いで復活しても、仕事のキャリアを捨てて手っ取り早くやれる仕事を仕方なく選んでも、教育費や子供にまつわる費用に貯金の殆どを使ってしまって老後や病気の不安を抱えていても、生活に娯楽というものが全く欠落していてもきっと子供がいるだけで恵まれていて幸せなんだと思う。
幸せってそういうものなんだと思う。