カミングアウトすることにした。

そこそこいろんなことが起こった私の半世紀のハイライトを恥ずかしいから隠してたけど晒すことにした。

メンヘラ?っていうの?

夫の残した借金をクリアにし、息子とのこれからの生活の基盤を作り、息子を自立したいい男に育てたい、というのが当時の私の目標だった。

 

生活の全てを合理化し、なるべく無駄なくスムーズに毎日を営めるよう整えた。要らなくなったものはさっさと処分して、お片付けの本を読まなくても断舎利していた。そもそも住む場所が狭いから要らないものなんか置いておく場所がない。

実家を追い出された時に、家財道具や思い出の品、家一式を手放したので物なんかない方が自由に暮らせることは身に染みて知っていた。

 

クリエイターの端くれだったので

仕事では私の領域の役割としての全責任は私にあり、私がコケるとその関係者が全力でその日に向かっている撮影の全てがコケる事になるので、たとえ高熱が出てもそれは自己責任で、一般の会社員のように休むことも、病院に寄って遅れることもあり得ないことで、その日の仕事が完全に終了するまで早く帰ることも出来なかった。

 

息子はいっときでも一人にさせるわけにはいかない年齢だったので、こちらも売れっ子タレントのマネージャーのように移動手段までびっちりスケジュールを組み立てて段取りを考え、アテンドをブッキングしなくてはならない。

 

朝から夜10時頃まで集中して仕事の上に、帰ってからの家事をこなし、次の朝までに資料を作ったり、撮影の準備をしたり、はたまた保育園や学校行事用の何かを作ったり、伝えておくべきことの準備もしなくてはならなかったりと、やらなくてはならないことが毎日あったので、一旦息子に絵本を読み聞かせながら眠って、深夜2−3時に起きだして、日が昇る頃にもう一度仮眠、と言ったサイクル。日中は車も運転するし、眠くてぼんやりでは仕事も捗らないので、最初はカフェインに頼っていたが、とても神経が立ってしまい息子に暴言や時には手を上げてしまったりすることもあり、悩んだ挙句心療内科へ。

 

眠らなきゃ、という時間に眠れない日々が続き疲弊しきっていたので医師が処方した睡眠導入剤と昼間に意識がはっきりするための薬の2種類でコントロールするしかなかった。

 

息子は小学生になり、私はそんなコントロールを続けてしばらくすると、なんだか記憶が飛ぶようになり、なんでもない時にちょっとした事で泣き出したり、ヒステリックになったかと思うと横になって動けなくなったりで、息子を学校へ迎えに行かなくてはならない時も寝椅子に寄りかかって過ぎていく時計を暗くなっていく部屋でどうしようと焦りながらも動けずに見つめる日が続いた。

 

その頃のことは殆ど詳しく覚えていない。けれど息子に食事を作ってあげることが出来なくて、パンか何かを食べるように言って、横たわる私のそばでおもちゃで寂しそうに遊んでいる息子の後ろ姿を何となく想い出す。息子に優しく接してあげたくて医師を信頼して薬を使ってみたのにどうゆうこっちゃ?と怒りを覚えました。

 

学校がお休みの日は車に着替えや食べ物をボンボン放り込んで、息子を乗せて逃げるように何処かへドライブへ行く。家になんていられなかった。どこか遠くへ行って息子に楽しいことをさせてあげたかった。デジカメで撮った画像で「これは一体どこへ行ったんだろう?」という旅行の写真がいくつかある。でもどこへ行ったのかどうしても思い出せない。

 

出かけたはいいけれど、お財布を持っていなくて次のインターで高速道路を降り、知らない田舎の、何でもない誰かの土地の草の上で昼寝したこともあった。そのくらい滅茶苦茶だった。でも何かを息子と共有して一緒に楽しみたかった。

 

客観的に見ると私は動ける時は(安定剤が効いていて)活発だし明るく振舞っていたので、あのお母さんは学童保育に迎えにも来ないし、子供は遅刻や欠席、忘れ物が多いし一体どうなのよ、って思われていただろうと思う。

 

私ほど手助けがない子育てをしている人はそうそういないので理解してもらおうと努力することが無駄ということは保育園時代に学習済みだった。「助けて下さい」と言っても、私の努力や辛抱が足りないからだ、どこでも親が責任をもって育てているものだ、甘えるなと言われるだけ。みんなはちょっと子供から目を離す時に、夫や祖父祖母に「見ていて」と頼んだりできるから、いっときも気を抜けない私の現実がどんなものか理解できないだろうし、それなりに親というものは大変なので他人のことをじっくり想像する余裕などないものなんだろう。

 

ずっとレギュラーで続けていた大きな仕事も断り、もう担当医の言うことは信用できなくなっていたので処方されていた睡眠薬や安定剤を自分でインターネットで情報を集めながら自己流で徐々に減らして、ヨガを習ったり、ジョギングを始めたりして健康な精神に戻れるように自分を変えていった。

 

その頃の写真を見ると、ディズニーランドに行っても、自然の中に行っても、ハワイに連れて行っても息子には笑顔がなかった。最近になって、そのことに気がついた。