カミングアウトすることにした。

そこそこいろんなことが起こった私の半世紀のハイライトを恥ずかしいから隠してたけど晒すことにした。

離婚して、そりゃもう大変なんてもんじゃない!

親ひとり子一人、とか言うじゃない?あれってちょっとお情けちょうだい風でみっともない言葉だと思うんです。だからそう言いたくないけれど、私たちみたいなのをそう言うんだと思います。つまり、じいじばあばとか、親戚とか姉弟とかの援助全くなしの本当にふたりっきりの母子家庭。

 

よく「うちも母子家庭だよ?」とかいう人いるけど、親から援助してもらったり、子供を(タダで)ちょっと見ててもらえるような母子家庭とは厳しさが違う。

息子はその頃2歳だったから本当に一分でも目を離したら一体どんなことをしだすか分からないし、責任感みたいなものは元々とても強い方で、息子に万が一のことがあったらそれは100%私の責任だと思っていたから、一緒にいる間は常に話しかけたり何をやっているかを意識していなきゃならなかった。

自分の責任で産んだ子供を周りの人に無料でお願いするなんて、してはいけないことだと思っていた。

 

ワーキングマザーなんてみんなそうだと思うけど、一緒に座ってお喋りしたり、遊んだり子供のためには向き合うべきだけど、飯も食わなきゃならないしお風呂も入れなきゃならないし洗濯物も沢山あるし、自分の仕事の準備もあるし、とてもじゃないけどコミュニケーションなんて取る時間なんかない。

自分の中で絶対やり続けようと思っていたのは寝るときに一緒に横になって絵本を読んであげること。あとは朝ご飯を一緒に食べること。それしか出来なかったな。

 

TVを垂れ流しにしているような生活環境があまり好きではないので、なるべく息子に話しかけたり近くに来させて洗濯機が回るのを眺めたり、料理を手伝わせたりするもんだから、子供には良いかもしれないけれど私のストレスたるやハンパないことになっていたようで。

 

その頃の私は幼児のお母さんは働くべきではなく、子どもと一緒に過ごすべきだと考えており、モンテッソーリ教育なんかに興味がある方だったので、自分の理想としていた子育てと現実のギャップにそれはそれはモミクチャに苦しんでいたのでした。

 

元夫が私の信用を使ってローンを組んで車や仕事用のカメラ機材やPCを買っていたので、その残額が500万程度あり、元夫はそれ以上に借金をするのが普通と思っている人で、まるきり甲斐性がないので私は自分の信用のために必死で働いて返済しなくてはならなかった。

 

下に保育園がある低所得者向けの団地の居住権が当たり、都心の一等地ではありえない低予算で住み家が確保できたので、おしゃれな生活をしたかった私には辛く悲しい環境だったけど目をつぶって有難く住ませて頂くことになった。

幸い息子は10ヶ月の頃から公立の保育園に入れていたので、忙しい時は朝7:30−夜7:30まで延長して12時間保育園に預け、その前後をシッターさんや家政婦さんや、施設の託児所に預けるなどの方法で切り抜けたけれど、

 

早朝出かけるときにシッターさんに来てもらい、息子を起こさないようにそーっと家を出ようとすると「ママー!!」と起きてきて私の足にしがみつき、「行かないでー!!ママがいいー!!!(号泣)」

 

しがみつく腕を足で振り払って行くしかなかったのですが、今思い出しても悲しくて泣けます。

当時の保育園以外の息子のアテンド代は毎月8〜10万はかかっていたので仕事の方はアシスタント代をケチって雇わずに一人で奮闘してました。(保育園に入る前はもっとかかっていて、その支払明細をネタに区役所に交渉しに行って0歳から保育園に入れた経緯をそう言えば思い出した。)

 

一度、車で移動中に通りかかった公園をみつけ、そういえばずっと仕事が忙しくて一緒に遊んであげられなかったなと思い、寒かったけど車を停めて二人で公園で遊んだ時、携帯に誰かから仕事の電話があって話していた隙に、転んでか、鉄棒にぶつけてだったか、なんだかいやに大人しくなったなとブランコに座る息子の顔を除いたら頭から血がドロリと垂れて、砂地にポタポタと血が落ちていた。

 

息子はとても活発で、それでもって身体は細いのに頭がわりと大きくて、バランスが良くないせいか、よく頭部に怪我をしてたので「こういうことになると病院で痛いこと(傷の縫合)をされる」ということを知っていて、泣きもせず、私に訴えるでもなく、無かった事にしたいと思ったんだと思います。

 

もう、可哀想で私もベソを書きながらすぐに救急で見てもらえる病院を電話で探して、「泣かないで我慢出来るなんてすごいよ」と息子を励まし、車で病院に駆けつけてすぐに手当してもらいました。

 

紫色のフリースのジャケットを着て頭からポタポタ血を流して俯いてブランコに座っている息子の姿をハッキリと思い出せます。私はその時もとても疲れていて、公園が大好きでやたら一緒に遊ぼうとする息子をほんのちょっと、面倒くさいと思っていました。思い出すと10年以上たった今でも胸がぎゅっと苦しくなります。

 

 

 

 

 

家族観についてのいろいろを整理(というかカミングアウト)

私の学生時代、家族はバラバラで父は生活費を入れず、身体の弱い母はパートを掛け持ちして50で体を壊して亡くなった。父は有名私大卒で丸の内のサラリーマンだったが酒乱で酔って帰っては家族に暴力をふるい、家の中は戦場のようだった。

 

こんな環境で勉強なんてとてもムリだったが私は勉強したかった。スポーツもやりたかった。

 

でもお金がないから部活は駄目、スポーツは駄目、塾へ行かせてなんて考えたこともない。挙句の果てには母からある日「もうお米が買えなくなった」とこぼされ泣かれ、私はもうこんな家はまっぴらゴメンだと思い、かねてから誘われていたバイト先のお客さんのところに転がり込んだ。

 

苦しむ母を残していってしまったことに罪悪感はあったけれど、少なくとも学校をやめることで学費(成績が振るわず私立だった)と私の生活費が必要なくなるから良い選択だと思っていた。

 

私の家族観は、<家族=辛い十字架>でしかなく、世の中の人がなぜ家族になりたがるのか意味がわからなかった。家族構成は一人でも少ないほうが幸せに決まっていると心底思った。

 

学校や友達から離れ、自分が友達と「違う」ことに対する引け目から解放された。先のことは想像できなかったけれど、とても自由で嬉しかった。お金が少ないよりも沢山あったほうがより選択肢が増えることに気がついて仕事もいわゆる水商売に転向。傍から見たら荒れた生活をしている未成年の女の子だったかもしれないけれど毎晩父が夜中に帰ってくる足音と、鍵をガチャガチャと開ける音に身を竦め、母が殴られる物音、父の怒声や、小さい弟が泣き叫ぶ声を布団をかぶって汗をかき震えながらやり過ごす夜、包丁を枕元に隠しておきながら何も出来ない兄、精神的に壊れていく母と弟…。そんな中で怖くて勇気がなく母を助けられない申し訳ない気持ちと、「母子家庭になってはあなた達が可愛そうだから」と母から言われ、自分が存在することに罪悪感を感じながら暮らすよりはよっぽど幸せだった。

 

私が高校を中退したことはエリート教育者の家庭で育った母と、大学を優秀な成績で卒業した(と自分で思っている)父にとってある程度のショックを与えることが出来たらしく、父も諦めがついたのだと思うが大人しくなって、心はバラバラなままでも何となく一つの家に住み、家庭の形は元に戻った。

 

誰も自分のことに集中することが出来ず、将来の夢もなくただ目的もなく生きてるだけだった。少なくとも母だけは、わたし以外の兄弟を学校を卒業させることを目標として頑張ることができたんだと思う。

 

兄は写真の専門学校へ行き、そこで知り合った女性と結婚、弟は高校生、私は洋服の売り子をしていた。

そんなある日、母が末期癌だということがわかり、あれよあれよといううちに入院して亡くなった。

私は店のアシスタントバイヤーとして海外に出張が多く

もともと美術を志していたので、ファッションの仕事はやり甲斐があった。

母のことは大好きだったが、病院に任せきりで看護らしいことは何もしていなかった。

会うと、病名がガンで余命3ヶ月だなんて言えないし、母の前で涙が出てしまいそうだし、私が苦労をかけるから母が病気になったと兄から責められそうで、なるべく会わないほうがいいと思っていたくらいだった。

そんなこんなで母は亡くなり、わたしはますます仕事にのめり込み、有名な芸能人の衣装を担当していた人に気に入られてアシスタント修行を経て独立、そこそこのレベルでお仕事させて頂けるようになり、知り合ったカメラマンと結婚、自分の人生が自分の手で切り拓けるのだと実感はじめた頃に妊娠出産。

 

家族が増えること、子どもという無力な存在を作ることに潜在的に恐怖があったのに夫や周囲に説得されて出産、母はいないし、義母を嫌って遠ざけてしまい、慣れない育児を見守る人もない環境でわたしの育児は七転八倒だった。

第一、子供をどう愛したらいいかのサンプルは、テレビでしか見たことがない。

 

夫も心配だったようで仕事が振るわず、だんだん現実を放棄して働かなくなり私の貯金で生活していたがだんだん底が見えてきて毎日言い争いばかり。

 

さらに夫は浮気、働かないでパチンコ浸り、幸い財布は別々だったが彼の通帳を見て、結婚前から借金が出来なくなるところまで使っては実家の親が数百万単位で振込、という繰り返し。おしゃれでスマートな彼がそんなだとは夢にも思わず、30代半ばまでそういう金銭感覚の人間では一緒に子供を育てるのは難しいし、大人の男性のサンプルとして息子に見せたくない。

離婚する前の年、年収70万の彼の確定申告書を見てもうダメだわ、彼が主夫で自分で働いたほうが全然マシ。と思いました。

1歳を過ぎ、少しずつかわいいお喋りをするようになってきた息子が私たちの不仲が原因で吃るようになり、夫に私がメインで働くことを申し出るも<主夫>は嫌だとのこと。

「ああ家庭・家族は私にはムリだ!」と離婚しました。

 

 

 

それから一年後、こんなことに。

 

 

 

 

 

ブログって面倒だと思って、

 
編集

ツイッターで息子の学校での出来事についてブツブツ言ってたらものすごく長くなってしまい、これじゃいけないなと思って、はてブロ開設しました。ほぼ140字づつなのでちょっとおかしいところもありますが、自分的な記録としても残しておきたいのでコピペします

 

8時間

うちの息子の身の上に起こったことは、スポーツ推薦がほぼ決まり そうな場面で高校の顧問教員が来校しての面談の際に、息子のネガテイブな情報を徹底的に評うといったもので、息子が部活での体罰を逃れるために登校できな くなったこともまるで子供や家庭に全責任があるかのようなアピールをしたようだ。

 

まさにその顧問の先生から枠の中の一人に息子を、と我が家と中学校に電話が あったその日に行われた「進路説明会」での挨拶で学年主任である担任の女性教員 が興奮した声で「スポーツ推薦という話がありますが、そんなものは一顧問の口約束でしかありません!」と第一声から言い放ち、保護者は何の事かと

 

同じ男の子を育てた先生だから、きっと入学後に怪我をしたりといったことを心 配してくれているんだろうと思うことにして、担任と打ち合わせできるかと思っ ていたけれど、担任が異常なテンションだったので話をせずに帰宅。明くる日に高校の顧問を訪ねて、やむを得ない理由で部活が続けられない場合の

 

学校での扱いについて確認したところ、我儘以外の何らかの事情で退部すること があっても他でもなく進学校でもある当校に限って退学などそういったことはな く普通の生徒と同じように卒業できるとのことで、これで担任も安心してくれるだろうとホッとして数日後の三者面談の後に顧問先生を含めて面談した

 

中学校の戦績は大したことはなく、とてもスポーツ推薦の枠に入れるものではな かったので部活を引退してからはお友達の伝手でレベルの高い活動に参加させて 頂いて知り合いを増やして行きたい学校へ伺い、プレーを見てもらって息子自身が掴んだチャンスだった。希望の進路だということは担任にも伝えていた。

 

親としても勉強の時間を削って練習や試合に参加することは賭けでもあったけれ ど、スポーツも大学進学も両立させられる学校だったので、私たちとしては最良 のアプローチに息子が進める可能性が高いことを、本人と同じく嬉しく思っていた。内申基準はあと1点だったので、後期は充分クリアできる範囲だ。

 

結局は息子の出欠状況のところで引っかかってしまったけれど、1〜2年の間の データを提示しなくてはならない事が分った時に担任が「今数字がわかったほう がいいですか?」と即座に切り返し、調べて提示、空気が重くなった所へ追い打ちを掛けるように息子のシャツの第1ボタンが開いていることを指摘。

 

その瞬間に少なからず歓迎されていないことを感じましたが、どう言い訳しても 強豪校の選手としてプラスになる言葉が見つからなくて、その場は暗い雰囲気で 終了。私たちはそれで帰されたのですが担任が「副校長が別室で待っていますのでお寄り下さい」と高校顧問を案内する声が聞こえた。

 

なぜそんな席が設けられるのか、なぜ私たちはそこに参加できないのかな?と疑 問に思いながらも、初めてのことなので釈然としないまま失意の息子を励まし学 校を後に。思えば、その密室で更に息子がいかに強豪校の選手として相応しくないかとのネガティブなアピールをされたのではないかと疑ってしまう。

 

何故ならば、あくる日に高校顧問に連絡した時の声のトーンが今までの感じから 明らかに迷惑そうに変わったということと、アポイントを取ろうとしても「試合 前で忙しいからそんなこともしていられないんです」とまで言われ、その部屋で行われた会話がどのようなものだったのかは何となく想像がつく。

 

プラスになることでもないだろうと思いながらも、キャプテンだった2年の時に 息子に起こった大阪の事件と酷似した部活での事実を息子の名誉のために説明し なければならないと思いすぐに高校に出向き話をしました。私の言い分を真摯に聞いて下さいましたが、入試担当と協議の結果は「不可」でした。

 

思うに、去年その問題が浮上して何とか怯えている息子を学校へ復帰させなけれ ばと交渉、退部した2ヶ月後に体罰自殺の事件が起こり社会問題に。あまりの酷 似と、過度な練習による怪我に部員に対する説明会が行われ当該指導員は学校を去る結果となり被害者宅へ校長・本人が出向いて謝罪がされたそうだ。

 

その時にはすでに退部していたとは言え、当事者だった息子と私にはインフォ メーションは全くなしで、説明会のことは他の保護者から聞いた。一部の体罰賛成 の保護者からは私たちが主張したために外部指導員がクビになったと言う者もいたが、私は校長に当時はっきりと「先生方の進退を問うものではない」

 

ただ息子がこれ以上休んだり遅れたりすることのないよう安心して学校へ登校で きるよう退部をさせてほしいことをお願いしたまでだったのに、結局受験の段階 でこのように扱われるなら去年の段階で関わっていた今の担任、校長、副校長への責任をもっと追求するべきだったと後悔している。

 

今回の推薦についての一件で、2年の時に校長に「息子の受験に不利になるの で、顧問に脅されて不登校となった部分の出欠記録を改ざんしておいてほしい」と 申し出て、そういうデータが必要な学校を受験する場合はそのようにします、と約束を取り付けていたのに、結局不履行となった。

 

それを校長に確認しに言った時の校長が私をまるできたないものを見るような目 で見、話ができるタイミングをずっと待っていた私に対し「時間がないので」と 言って話そうとしないので「歩きながらで構いませんから」と歩きながら話したところ「1年の時の日数は変えられませんよ」と頼んでもいないことを

 

言ってくるので私の方も「そのような嘘をお願いするようなことは一言も言っていませんよ?」とちょっとキレそうになりました。と同時に、校長へどんな風に担任が報告したのかが垣間見え、どう見ても好意的に受け取れない事を確信しました。

 

当時の私の出方によっては校長も外部指導員とともに責任をとらなければならない事態となったことを、まるで私が脅したかのように受け取られているんだな、と。それを今回の入試で、報復が息子に対して向けられていくんだなと血の気が引く思いでいます。

 

今執拗に学校側からその後の息子の志望校を探ってこられていて、まさに成績の データを調査書に書き写す時期が目前なので私の方も妨害があることを考えて、 第一志望は絶対に学校へ伝えないように息子に指示しています。私立高の一般受験であれば、学校へお願いすることは調査書のみなので。

 

それより息子の考えがまとまらなくて、志望校を決められず、他の高校を訪問する意欲もなくしていることにホトホト困っています。

 

噂なので事実はわかりませんが、担任の息子さんが浪人したという話が聞こえて きて、子供たちに「学校はよく選ばないと途中で辞めることになります!結構な 数の子が高校を中退しています!!」と毎日のように言っているそうです。これから入試を控えている子供たちにですよ?普通は言わないでしょう

 

隣のクラスのまた50代の女性の担任は調査書を餌にネチネチとした虐めのよう な暴言を子供と保護者に吐いており、表面はいい人そうに振る舞う息子のク ラスの担任よりもっと露骨で酷いようです。面談で女の子が泣かされていたのを見ました。子供達は男子も女子も低評価を恐れ、ピリピリして落ち着かず成績も振るわないようです

 

頑張っても好意的に評価されず、悪いところばかりを論っては「あなた方が悪いか らでしょ?」と子供を責めて気持ちを追い込むようなことばかりされて子供たちは ただでさえプレッシャーに耐えているのに力を伸ばすことが出来ず、折れそうになる心を家庭で何とか繋いで立ち直らせては勉強に向かわせています。

 

思うところはあるけれど、息子の生活態度、ロングスリーパーであるために遅刻 が多かったことが、もっとも大きなマイナス点だったと考えたほうが、ここに来てまた一から志望校を組み立てていかなくてはならないので少しでも前向きになれ るかなと思っています。ただ意欲を失ってしまった息子をどうするかが、

 

大きな課題で、学校探しに興味を持って目を向けるように作戦を目一杯考えてい て、自分の気持の整理と起こったことの記録で去年の10月の出来事をツイート で記録したと共にここに書き留めました。あまりに面倒な内容なので読む人もそうそういないかと思います。明日こそスッキリ目覚めたい。備忘録です

 

もう息子には間に合いませんが、若い世代の真艫な教育への意欲ある人達が公立初等中等教育の現状を打破して改善してくれることを切に願います。半歩先を見 れない、昭和で時が止まったおかしなお年寄りはさっさと道を譲って下さい。…っ!私も年齢はもうBBAですけど。正しくあるよう心がけています。

 

仕事にかまけて学校へはなるべく足を運ばないようにしていたけれど、小学校、中学校とセレブでお上品なママたちが「学校?(クソ)でしょ」とか教師の名前の後に(ババア)をつけて小さな声で話すくらい怒ってます。本当に碌でもない事が行われています。

 

以下ママフォロワーさんとの会話の一部

 

 
 

不 愉快な文章を読んで下さったんですね。失礼しました。 学校はより子供の希望を応援してくれるものだとばかり思っていたのですが…。他にも高い目標を決め頑張っている子へ諦めるように精神的な妨害をしていま す。明らかに条件を満たしているのに評定が低くても意見は言えません。

 

>不愉快さは全くありません。放任主義でいる私に正しい危機感を与えていただきました。学校や先生個々の性格で違いはあると思いますが、指導だけでなく子供が弱っているときの対応や高い目標を意識したときの姿勢は指標になりそうですね。

 
 

改 めて公立校では工場で働く労働力を育てる場所であり意欲のあるものは異物として排除され(ちょっと大げさかな)、子供をおとなしいネジの一本として教育 されていると実感します。お金がないから都立高、という親御さんは多いですが、お金がないからこそ正しい教育が必要と思います

 

 

 

 

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桜宮高校での事件と酷似の息子のケース(2012年10月からのツイッター)

以下は去年の夏、桜宮高校での体罰事件が起こる少し前に、中学2年バスケ部キャプテンだった息子の身の上に起こったまるで事件にそっくりな出来事について。

息子は自殺ができるほどには追い詰められていなかったのかもしれないけれど、コーチ(外部指導員)に学校で鉢合わせると追いかけられてなぜ部活に出ないと問い詰められるので怯えて不登校に陥りました。

 以下、当時覚書として綴ったTwitterから。


9時に代々木、午後から墨田区で練習試合、終わってから22時の終バスまでまた代々木でバスケ。で捻挫して足を引きずって帰ってくる。ドクターバッグ紛 失でテーピングもなし。明日も明後日も練習。コーチには試合中リバウンドが取れなかったと背中からタックルを喰らう(狂ってる)。

 

 

 

息子の中学校の部活で外部指導者による暴力。折込済みで子供を預けていた保護者もいるらしいが、その先生にスカウトされて入ったのでそのような事実を知らなかった。暴力指導は主にキャプテンの息子に集中していたのだがバランスが崩れることを恐れ沈黙を守っていた。

 

 

 

夏休み明け、突然不登校状態に陥り、理由を聞くと「部活が辛くて部活を辞めたい」去年一回戦だけでも都大会に出られたのは学校としては快挙だった。楽しん でいるとばかり思っていたが、まさかと思い他の部員の保護者と連絡を取ってみると同じく不登校の子がもう1人、怪我や病気の子が多数。

 

 

 

事故ではあるようだが、頸椎か脊髄を練習中の接触で損傷し、1ヶ月入院中の一年生も。事実を確認しなければと思い、部活で話し合うので出て来いと息子が言 われた日に様子を見にいくと息子と2人で話す時は席を外すようにと言われ、全員で話す場は「雰囲気を見たいので」同席させて頂いたところ、

 

 

 

穏やかに話しておられながら、始終先生のペースで、意見を求めながら先生の前では完全に萎縮してyesとしか言えない質問に答えるだけの子供たち。自分の 言いたいことだけを話すとその場を去り、解放された安堵で一時的にまとまったように見えたが、先生に「もう少し子供の話を聞いて下さい」と思わず呼び止めた。

 

 

 

不登校や、休みが多く部員の結束が弱まってきたことがテーマの話し合いだったので「求心力を失い、皆の気持ちがバラバラな原因や対策と言った論点と今の話 し合いはずれていませんか?」と退室した先生を追い、子供がいないところで申し出たけれど「そうすね」と相手にされていない感じ。

 

 

 

先生は競技では現役の選手でその世界ではカリスマ的な存在とのこと。1年生の頃はただただ憧れていた先生に、先輩の推薦でキャプテンになると何かと責任を 問われ叱責や罰を与えられていたそう。試合中は特に顕著で1年生を補うために息子が精一杯尽力してもサボっていると罵倒、暴力。

 

 

 

1年生が入ってきていう事を聞かない上、上級生を足で蹴るなどの行為があったことを先生に相談すると「殴っていうことを聞かせろ」とのアドバイス。それに 息子は同調できず「俺がそんなことをしたら余計に結束が弱まる」「暴力をふるったら終りだ」と自分の殻に閉じこもってしまったようです。

 

 

 

運動部がそういうものなら息子はキャプテンの器ではないのだろうと思うし、そのような指導者の元で旧態依然の歪んだリーダーシップを覚えては困る、そして まず何よりも学校に行かれないという事態は本末転倒も甚だしく、顧問と当事者と話し合ったところ、指導の仕方は改めるがキャプテンなのに部を放り出した責任を大人2人で「どうするんだ」と迫って来た。折しも今月末に公式戦があり、息子は主力選手と当てにされてきたので試合に出したいと思う んだろうが、高圧的な指導で精神的に追い詰めてチームの気持ちををバラバラにしたのは他でもない自分たちの指導力不足ではないだろうか?

 

 

 

今まで連絡網すら作ろうとしなかったのに急遽保護者会の召集があり、議題は足が麻痺して入院中の一年生の事故の経緯説明で、保護者側からはそれぞれ学校の 部活の範囲を超えるとも言える活動の厳しさや、指導者の知識経験不足や思い込みからくるフィジカル面の対処の遅れが原因の怪我の深刻化について

 

 

 

普段からの疑問が全部でないにしろ表面に出て来ましたがそれらについては「対策を考えようと思っています」と徹頭徹尾歯切れの悪い返答でした。多くの仕事 を抱えた上で無償の部活での指導を買って出るような熱意のある先生方だろうけれど勝利や実績ににこだわるあまり息切れしているなと気の毒にも思います

 

 

 

先生方に同情の余地があるとしても、怯えてしまっている我が子をそのまま送り出すわけにはいかないので、改善を求め、暴力的指導があったことを息子達に謝 罪し、今後もうないことを約束して貰いました。保護者同士では連絡先を交換し、活動を見学するなど積極的に見守る方向で意見がまとまりました。

 

 

 

以上はよく見る体育会の出来事かもしれません。しかし教育現場での行き過ぎた指導は子供に間違った倫理観や脅威に対するトラウマにも繋がりかねる事例だと 思います。若い先生方にも未来や家族がありますから、すぐに処分を!と声高に叫ぶつもりはありませんが厳重に注意して見守って行こうと思います。

 

 

 

過酷な練習で足底筋膜炎が2件、腰、膝、股関節などの故障が4件、重症で入院1件。捻挫程度は怪我に入りません。確か休んでいる子いれて11人だったと思い ます。勉強どころか食事の時間すらないシゴキです。夏休み皆ガリガリに痩せました。まるで戸塚ヨットスクールオウム真理教

 

 

 

昨日は部活のメンバーで先生抜きで話したらしい。「で、どうだった?」って我慢できなくなって聞いたら「皆は先生が優しくなったって。でも物足りないみたいよ。」・・・君らどんだけドMなのかと思いきや、「キャプテンは俺も絶対やりたくないって言ってた」だろうね〜

 

 

 

 敵を許して前進を続ける。復讐を企ててはいけない。許すことからはじめる。相手に伝える必要はない。心のなかで折り合いをつければよい。

 

 

 

今日,息子の学校でも男子バスケ部の緊急保護者会が開かれるそう。私は呼ばれていないし息子も退部したので関係ないという事だろうけど、私が10月に何度 も学校に大勢が見ている前での罵倒,暴力的指導について訴えていたことは多くの人が知っている事なのに何の連絡もないのは違和感を感じる。

 

 

 

自殺高2 バスケ部顧問宛て遺書「主将だから」体罰集中(スポニチアネックス) - Y!ニュース headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130110-キャプテンの責任を放棄したとか復帰しろとか言われ、辞めたことが間違っていたのでは?と親としてずっと悩んでいたけれど選択に確信が持てた。

 

 

 

自殺高2 バスケ部顧問宛て遺書「主将だから」体罰集中(スポニチアネックス) - Y!ニュース headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130110-息子、やめられて良かったけど後任の部長が同じ目にあって戻ってくれって。辞めるべきだと勧めたら、次の奴がやられるだろって。どう考えてもおかしい。

 

 

 

桜宮高校バスケ部主将の自殺事件は程度の差こそあれうちの息子のケースと酷似。幸い退部できたが、やめられるまで何度も学校に足を運び掛け合い、辞めてか らも公式戦の前に責任を放棄したと責められ、復帰をしつこく求められた。残っている部員たちは恐怖で管理されている。ある種の洗脳とも言える状態