カミングアウトすることにした。

そこそこいろんなことが起こった私の半世紀のハイライトを恥ずかしいから隠してたけど晒すことにした。

離婚して、そりゃもう大変なんてもんじゃない!

親ひとり子一人、とか言うじゃない?あれってちょっとお情けちょうだい風でみっともない言葉だと思うんです。だからそう言いたくないけれど、私たちみたいなのをそう言うんだと思います。つまり、じいじばあばとか、親戚とか姉弟とかの援助全くなしの本当にふたりっきりの母子家庭。

 

よく「うちも母子家庭だよ?」とかいう人いるけど、親から援助してもらったり、子供を(タダで)ちょっと見ててもらえるような母子家庭とは厳しさが違う。

息子はその頃2歳だったから本当に一分でも目を離したら一体どんなことをしだすか分からないし、責任感みたいなものは元々とても強い方で、息子に万が一のことがあったらそれは100%私の責任だと思っていたから、一緒にいる間は常に話しかけたり何をやっているかを意識していなきゃならなかった。

自分の責任で産んだ子供を周りの人に無料でお願いするなんて、してはいけないことだと思っていた。

 

ワーキングマザーなんてみんなそうだと思うけど、一緒に座ってお喋りしたり、遊んだり子供のためには向き合うべきだけど、飯も食わなきゃならないしお風呂も入れなきゃならないし洗濯物も沢山あるし、自分の仕事の準備もあるし、とてもじゃないけどコミュニケーションなんて取る時間なんかない。

自分の中で絶対やり続けようと思っていたのは寝るときに一緒に横になって絵本を読んであげること。あとは朝ご飯を一緒に食べること。それしか出来なかったな。

 

TVを垂れ流しにしているような生活環境があまり好きではないので、なるべく息子に話しかけたり近くに来させて洗濯機が回るのを眺めたり、料理を手伝わせたりするもんだから、子供には良いかもしれないけれど私のストレスたるやハンパないことになっていたようで。

 

その頃の私は幼児のお母さんは働くべきではなく、子どもと一緒に過ごすべきだと考えており、モンテッソーリ教育なんかに興味がある方だったので、自分の理想としていた子育てと現実のギャップにそれはそれはモミクチャに苦しんでいたのでした。

 

元夫が私の信用を使ってローンを組んで車や仕事用のカメラ機材やPCを買っていたので、その残額が500万程度あり、元夫はそれ以上に借金をするのが普通と思っている人で、まるきり甲斐性がないので私は自分の信用のために必死で働いて返済しなくてはならなかった。

 

下に保育園がある低所得者向けの団地の居住権が当たり、都心の一等地ではありえない低予算で住み家が確保できたので、おしゃれな生活をしたかった私には辛く悲しい環境だったけど目をつぶって有難く住ませて頂くことになった。

幸い息子は10ヶ月の頃から公立の保育園に入れていたので、忙しい時は朝7:30−夜7:30まで延長して12時間保育園に預け、その前後をシッターさんや家政婦さんや、施設の託児所に預けるなどの方法で切り抜けたけれど、

 

早朝出かけるときにシッターさんに来てもらい、息子を起こさないようにそーっと家を出ようとすると「ママー!!」と起きてきて私の足にしがみつき、「行かないでー!!ママがいいー!!!(号泣)」

 

しがみつく腕を足で振り払って行くしかなかったのですが、今思い出しても悲しくて泣けます。

当時の保育園以外の息子のアテンド代は毎月8〜10万はかかっていたので仕事の方はアシスタント代をケチって雇わずに一人で奮闘してました。(保育園に入る前はもっとかかっていて、その支払明細をネタに区役所に交渉しに行って0歳から保育園に入れた経緯をそう言えば思い出した。)

 

一度、車で移動中に通りかかった公園をみつけ、そういえばずっと仕事が忙しくて一緒に遊んであげられなかったなと思い、寒かったけど車を停めて二人で公園で遊んだ時、携帯に誰かから仕事の電話があって話していた隙に、転んでか、鉄棒にぶつけてだったか、なんだかいやに大人しくなったなとブランコに座る息子の顔を除いたら頭から血がドロリと垂れて、砂地にポタポタと血が落ちていた。

 

息子はとても活発で、それでもって身体は細いのに頭がわりと大きくて、バランスが良くないせいか、よく頭部に怪我をしてたので「こういうことになると病院で痛いこと(傷の縫合)をされる」ということを知っていて、泣きもせず、私に訴えるでもなく、無かった事にしたいと思ったんだと思います。

 

もう、可哀想で私もベソを書きながらすぐに救急で見てもらえる病院を電話で探して、「泣かないで我慢出来るなんてすごいよ」と息子を励まし、車で病院に駆けつけてすぐに手当してもらいました。

 

紫色のフリースのジャケットを着て頭からポタポタ血を流して俯いてブランコに座っている息子の姿をハッキリと思い出せます。私はその時もとても疲れていて、公園が大好きでやたら一緒に遊ぼうとする息子をほんのちょっと、面倒くさいと思っていました。思い出すと10年以上たった今でも胸がぎゅっと苦しくなります。