カミングアウトすることにした。

そこそこいろんなことが起こった私の半世紀のハイライトを恥ずかしいから隠してたけど晒すことにした。

家族観についてのいろいろを整理(というかカミングアウト)

私の学生時代、家族はバラバラで父は生活費を入れず、身体の弱い母はパートを掛け持ちして50で体を壊して亡くなった。父は有名私大卒で丸の内のサラリーマンだったが酒乱で酔って帰っては家族に暴力をふるい、家の中は戦場のようだった。

 

こんな環境で勉強なんてとてもムリだったが私は勉強したかった。スポーツもやりたかった。

 

でもお金がないから部活は駄目、スポーツは駄目、塾へ行かせてなんて考えたこともない。挙句の果てには母からある日「もうお米が買えなくなった」とこぼされ泣かれ、私はもうこんな家はまっぴらゴメンだと思い、かねてから誘われていたバイト先のお客さんのところに転がり込んだ。

 

苦しむ母を残していってしまったことに罪悪感はあったけれど、少なくとも学校をやめることで学費(成績が振るわず私立だった)と私の生活費が必要なくなるから良い選択だと思っていた。

 

私の家族観は、<家族=辛い十字架>でしかなく、世の中の人がなぜ家族になりたがるのか意味がわからなかった。家族構成は一人でも少ないほうが幸せに決まっていると心底思った。

 

学校や友達から離れ、自分が友達と「違う」ことに対する引け目から解放された。先のことは想像できなかったけれど、とても自由で嬉しかった。お金が少ないよりも沢山あったほうがより選択肢が増えることに気がついて仕事もいわゆる水商売に転向。傍から見たら荒れた生活をしている未成年の女の子だったかもしれないけれど毎晩父が夜中に帰ってくる足音と、鍵をガチャガチャと開ける音に身を竦め、母が殴られる物音、父の怒声や、小さい弟が泣き叫ぶ声を布団をかぶって汗をかき震えながらやり過ごす夜、包丁を枕元に隠しておきながら何も出来ない兄、精神的に壊れていく母と弟…。そんな中で怖くて勇気がなく母を助けられない申し訳ない気持ちと、「母子家庭になってはあなた達が可愛そうだから」と母から言われ、自分が存在することに罪悪感を感じながら暮らすよりはよっぽど幸せだった。

 

私が高校を中退したことはエリート教育者の家庭で育った母と、大学を優秀な成績で卒業した(と自分で思っている)父にとってある程度のショックを与えることが出来たらしく、父も諦めがついたのだと思うが大人しくなって、心はバラバラなままでも何となく一つの家に住み、家庭の形は元に戻った。

 

誰も自分のことに集中することが出来ず、将来の夢もなくただ目的もなく生きてるだけだった。少なくとも母だけは、わたし以外の兄弟を学校を卒業させることを目標として頑張ることができたんだと思う。

 

兄は写真の専門学校へ行き、そこで知り合った女性と結婚、弟は高校生、私は洋服の売り子をしていた。

そんなある日、母が末期癌だということがわかり、あれよあれよといううちに入院して亡くなった。

私は店のアシスタントバイヤーとして海外に出張が多く

もともと美術を志していたので、ファッションの仕事はやり甲斐があった。

母のことは大好きだったが、病院に任せきりで看護らしいことは何もしていなかった。

会うと、病名がガンで余命3ヶ月だなんて言えないし、母の前で涙が出てしまいそうだし、私が苦労をかけるから母が病気になったと兄から責められそうで、なるべく会わないほうがいいと思っていたくらいだった。

そんなこんなで母は亡くなり、わたしはますます仕事にのめり込み、有名な芸能人の衣装を担当していた人に気に入られてアシスタント修行を経て独立、そこそこのレベルでお仕事させて頂けるようになり、知り合ったカメラマンと結婚、自分の人生が自分の手で切り拓けるのだと実感はじめた頃に妊娠出産。

 

家族が増えること、子どもという無力な存在を作ることに潜在的に恐怖があったのに夫や周囲に説得されて出産、母はいないし、義母を嫌って遠ざけてしまい、慣れない育児を見守る人もない環境でわたしの育児は七転八倒だった。

第一、子供をどう愛したらいいかのサンプルは、テレビでしか見たことがない。

 

夫も心配だったようで仕事が振るわず、だんだん現実を放棄して働かなくなり私の貯金で生活していたがだんだん底が見えてきて毎日言い争いばかり。

 

さらに夫は浮気、働かないでパチンコ浸り、幸い財布は別々だったが彼の通帳を見て、結婚前から借金が出来なくなるところまで使っては実家の親が数百万単位で振込、という繰り返し。おしゃれでスマートな彼がそんなだとは夢にも思わず、30代半ばまでそういう金銭感覚の人間では一緒に子供を育てるのは難しいし、大人の男性のサンプルとして息子に見せたくない。

離婚する前の年、年収70万の彼の確定申告書を見てもうダメだわ、彼が主夫で自分で働いたほうが全然マシ。と思いました。

1歳を過ぎ、少しずつかわいいお喋りをするようになってきた息子が私たちの不仲が原因で吃るようになり、夫に私がメインで働くことを申し出るも<主夫>は嫌だとのこと。

「ああ家庭・家族は私にはムリだ!」と離婚しました。